傍観者気分で迎える死

『Penumbra』や『Amnesia』といったホラーゲームで知られる Frictional Games のクリエイティブ・ディレクターを務める Thomas Grip が、ホラーゲームに付きものの問題点を 2 つ挙げている。

ChokePointによれば、ホラーゲームが抱える問題とは 死の扱い にあるという。

死んだときにプレイヤーはパニックになったりしない。笑って安堵しているんだ。死ぬ場面にインタラクティブ性がないことで、それが余計に傍観者気分を助長してしまう。

キャラが死ぬことで恐怖が失われる

ゲーム内で死が訪れると、プレイヤーからは恐怖や未知の感覚が失われ、プレイヤーにとってそのシーンは緊張感のある恐怖から「ここをクリアしなければ」という気持ちに変わってしまうのだと Grip は語る。

この問題について、Grip は「死を先延ばしにすること」が唯一適切な解決策になるとしている。

「唯一の適切な解決策は、死を先延ばしにすることだ。『Outlast』ではモンスターがプレーヤーを放り投げることで、プレイヤーに逃げるチャンスを与えていた。逃げる余裕ができ、恐怖感を長持ちさせる最高の方法だ」

しかしながら、遅かれ早かれ何らかの形で死がプレイヤーに訪れる必要もある。死が訪れなければ、プレイヤーはモンスターが無害だと気が付いてしまうからだ。Grip はそれを避けるためには単調さを排除することが重要だと考えている。

例えば Amnesia では、プレイヤーが死ぬたびにマップの構造が若干変わるようになっている。

モンスターへの慣れ

ホラーゲームの抱える二つ目の問題について、Grip はモンスターの露出で恐怖に慣れてしまうことを挙げた。

特に主人公が武器を持たないタイプのゲームの場合にそれは顕著だ。プレイヤーは身を隠したままモンスターの挙動を観察する場面が増え、その結果としてプレイヤーはモンスターに慣れていってしまう。

これは深刻な問題だ。最も効果的な恐怖は目に見えないものだというのは周知の事実だ。開発者はこのことを忘れてはいけないし、モンスターを露出させるタイミングには慎重になる必要があるだろう。とはいえ、ゲームでなら多少は許されると私は考える。なぜなら、プレーヤーは単なる受身の傍観者ではなく、自らの行動で結果を左右する立場にあるからだ。お陰で、モンスターをより深刻に受け止め易い状態にある。

カットシーンでモンスターを見せてしまうことも大きな問題だと Grip は指摘している。

プレイヤーが操作できない受け身の状態でモンスターを見せてしまうと、プレイヤーはモンスターを観察してしまうだけでなく、ホラーにおいて最も効果的な恐怖演出となるインタラクティブ性を損なってしまうためだ。

Grip が考えるこれに対する対策はとてもシンプルで、モンスターとの遭遇を最低限に抑えることだ。

そもそもの根本的な問題は、核となるゲームプレーとして「モンスターがプレイヤーを狩る」部分に依存しすぎることにある。これは、ホラー・ゲームにおける更に大きな問題点を露呈する。ゲームの大半がモンスターによるプレイヤー狩りでないなら、なにでプレイ時間を埋めれば良いのか?ここで挙げた問題点よりも解決が困難だろう。