ゲーム業界を蝕む社会正義の声

ここ最近、ゲームにおける女性キャラクターの表現について糾弾する意見が声高に叫ばれ、クリエイターに対する圧力として世界中のゲーム関係者を蝕みつつある。

Dead or Alive Xtreme 3は欧米での販売を中止する方針を発表し、ストリートファイターVはバッシングによって表現を修正することとなった。いずれも欧米で巻き起こっているラディカル・フェミニズム旋風(Third-wave feminism)に関連したゲーム企業側の対応だ。

この運動は「ゲームが女性蔑視を拡大している」との主張を元に展開され、今や世界的な大企業さえその声を無視できない。それを象徴する事件がBlizzardの例だろう。

Dead or Alive Xtreme 3, ストリートファイターV, Overwatch

Dead or Alive Xtreme 3, ストリートファイターV, Overwatch

世界的企業にすら影響力を持っている

Blizzardは3月、自社の新作Overwatchについて「不要に女性性を強調するポーズ」がゲーム内に存在するとの批判を受けて、該当するポーズの削除修正を行う方針を発表した。

BlizzardはActivison Blizzard傘下のゲーム企業であり、2015年に行われた市場調査レポートによればゲーム企業として世界第5位に位置する一流の企業だ。そんな大企業でさえも女性キャラクターにおける表現について、ひとたび批判が行われれば修正対応を余儀なくされている。

もちろん、表現に関して修正が行われること自体が悪いわけではない。差別的な表現が行われていたのであればそれは修正されるべきだろうが、Blizzardの今回の事例に関しては全く問題のある表現であったとは思えない。

誰かが問題があると叫べば、それだけでそれが強力な有罪判決となり修正を迫られる圧力めいた風潮に危機感を感じているのだと前置きしておきたい。

名だたる大企業が次々に弱腰で火消しに奔走する現状を見るに、批判を鵜呑みにし続けるゲーム業界に待っているのは死だけだ。今やゲーム業界は緩慢な自殺へと舵を切り始めている。

批判を鵜呑みにし続けるゲーム業界に未来はない

Blizzardが修正対応を決めたOverwatchでは、いったい何が批判され修正対応へと至ったのかと言えば、見る者に快活な印象を与える様な一人の女性キャラクターが行うポーズが女性性を強調しているという批判によってだ。

最初に批判を行ったユーザーは該当するポーズがそのキャラクターに似合っておらず「不要な性のアピールだ」と主張しており、Blizzardはその主張を丸々受け入れたという構造だ。Overwatchのディレクターは人々を不快にさせてしまったと謝罪している。

この対応の何が問題なのかといえば、そのキャラクターに似合わぬ行動は糾弾され修正されるべきだと世界的な大企業が肯定していることだ。

投稿されていた批判文では、快活な印象のキャラクターが性的なポーズを行うことが問題であって、性的で妖艶な印象のキャラクターが行うポーズについては問題にするつもりはないと書かれていた。

すべての登場キャラクターについて、少しでも性的なポーズがあれば取り除くということであれば方針として納得はできないが一貫性を理解することもできる。しかし元々妖艶さを強調した位置づけのキャラクターが性的な色香を漂わすことについては何も触れられることはなかった。

これは、そのキャラクターに似合っていない言動は罪だと言っていることに等しい。

Feminist Frequency

Feminist Frequency

一面的な描き方しか認めないという主張

Blizzardに対して行われた、似合っていない言動を取り除くべきという意見が肯定されてしまうのならば、それが辿り着く先は一面的な描かれ方しか認められない世界だろう。

例えば「元気で快活」なキャラクターにはそれ以外の姿はあってはならないし、修正し削除されなければならない姿となってしまう。ボーイッシュで快活な印象のTracer(今回批判されたキャラクター)は、少し色気のあるポーズを見せたところ直ちに批判されその姿は禁忌とされた。

ある一つの見方が定着したキャラクターはそれ以外の見方を許されない。なんという地獄だろうか。

差別撲滅のつもりが差別そのものになりつつある

「ぶっきらぼうな印象だったキャラクターが実は優しい一面を持っていた」などという少しオタク的にいえば”ギャップ萌え”と呼ばれる意外性や多面性、ひとりのキャラクターに相反する性質が同居することは許されない。

そんな構造は、フェミニズムが目指していただろう「男なんだから/女なんだから」という打ち砕きたかった固定観念そのものではないだろうか。こういうキャラクターにはこういう言動しか許さない、そんなステレオタイプな他者像を押しつける主張はレイシズムの定義そのものだ。

今のゲーム業界はかつて世界中で行われていた”黒人=奴隷”の時代へと突き進み始めている。

多面性を失い一面的な描き方しか許されなくなり、いつ訪れるかわからぬ糾弾の嵐に怯えながら生み出されるエンターテインメントからは魅力が消え失せるだろう。

受け入れるべき批判と立ち向かうべき批判を区別せずにただ火消しへと奔走するままでは、ゲーム文化は遠からず潰えるに違いない。