表現規制の背景と問題点を再確認

過激な表現の含まれるゲームが国内外で販売される際、地域によってオリジナルから表現や内容が変更されるケースがある。

最近話題となったケースで言えば『バイオハザード 7』や『サイコブレイク』が記憶に新しい。これらは注目作であればあるほど、オリジナルの内容で遊びたいゲーマーからは批判されやすい。

しかしこれらの批判の中には、パブリッシャや業界団体などとにかく目についた組織へ、ただ文句を投げつけるだけの批判も多くみられる。

「なに」が問題で「どう」変えていく必要があるのか、それを理解せずに批判的になっていてもいつまでも事態は好転していかないだろう。ここで一度、表現規制の行われる背景と問題点を整理しよう。

【背景】なぜオリジナル版から表現が変更されるのか

レーティング制度の存在が大きな理由

大きな要因の一つにゲーム業界におけるレーティング制度の存在が挙げられる。

レーティング制度自体は各国のゲーム業界に存在し、日本では CERO が家庭用ゲームの多くを審査している。アメリカでは ESRB、欧州では PEGI が有名だ。

まず、日本でレーティング制度の本格的な導入は「ゲーム業界自体を守るため」に行われたことを理解する必要がある。

今でこそあまり大々的に喧伝されることは少なくなったが、CERO の発足した 2002 年前後では「ゲームが青少年に悪影響を及ぼす」との言説がまかり通っており、社会や保護者らからのゲームに対する感情は良くないものが主流であった。そこで日本のゲーム業界は、そういった批判に対して審査による管理を行っており、健全であろうと努めているとの立場を示すためレーティング制度を導入し始めた。

ゲームメーカー各社と関連する流通団体がこれに合流したことが CERO の始まりとなる。

表現規制を好まないゲーマーからは目の敵にされがちな CERO だが、こういった背景から成り立っていることを考えれば、ある種の必要悪としてゲーム業界を守るための防備としての存在を、納得することが出来るのではないだろうか。

CERO レーティング制度の内容

任天堂による CERO 区分の説明

CERO は 2017 年 1 月時点で、A/B/C/D/Z の 5 段階の区分を用意している。

ゲーム内の表現の過激さに応じて段階が上がっていき、CERO が禁止表現と定めた表現を含むゲームは区分外として審査を通過できない。

禁止表現は大きく、性表現/暴力表現/反社会的行為表現/言語・思想関連表現の種類に分かれており、直接的であるか肯定的であるかなどの度合いで評価されている。以下に禁止表現にあたる暴力表現の例を示す。

  1. 極端に残虐な印象を与える出血表現。
  2. 極端に残虐な印象を与える身体分離・欠損表現。
  3. 極端に残虐な印象を与える死体表現。
  4. 極端に残虐な印象を与える殺傷表現。
  5. 極端に残虐な印象を与える恐怖。

これらのようなCERO の倫理規定に基づいて、ゲームの審査は行われている。

なぜ多くのゲームがレーティング審査を受けるのか

禁止表現が含まれていて審査に通過できないのであれば「CERO の審査を受けないで発売すればいいじゃないか」と考える人もいるかもしれないが、そうもいかない理由がある。

そもそもなぜ発売されるゲームの殆どが CERO レーティングの審査を受けているか。前述したようにゲーム業界を社会から守るためも理由の一つだが、さらに大きな理由には商業的な理由が挙げられる。

本来 CERO はゲーム業界における強制力は有しておらず、審査を受けない選択をすることは自由だ。しかし主要なゲームハードメーカーである Sony や Microsoft や任天堂が基準として CERO を採用していることから、事実上 CERO の審査が必須となっている。

TOKYO GAME SHOW などの大規模ゲーム発表会においても、出展の条件として CESA 倫理規定(CERO レーティング審査)を通過していることが求められている。ゲームを実際に販売するにも、宣伝を行うにも CERO の審査を受けることはほぼ必須化しているのだ。

なぜ表現規制が入るのか

各種ゲームハード向けのソフトを販売しようとした場合、プラットフォーマーである彼らから承認されなければならない。商業的な作品を販売する以上、承認されるよう CERO レーティングを通過する必要があるのだ。プラットフォーマーが承認の基準として CERO を採用していることは、2010 年のインタビューにて明言されている。

そしてなぜオリジナル版から表現の変更が行われてしまうのかと言えば、CERO の禁止表現に抵触しないようゲームの改変を行わなければ、プラットフォーマーからの承認が下りないからだ。

ゲームメーカーが販売戦略の関連から CERO の審査を回避することが出来ない以上、過激表現の含まれるゲームに表現規制が加えられることは必須なのだ。

この状況を覆すためには CERO の禁止表現の範囲が改訂されるか、プラットフォーマーが CERO を採用しなくなることしか無いが、その話については今回は割愛する。

【問題点】表現規制の何が問題なのか

日本のゲーム業界にて CERO のレーティング制度がなぜ存在するのか、その理由については前述した内容で把握できたと思う。

「ゲームメーカーとして表現規制が避けられないのならば批判をしても仕方がないではないか」と思う人がいるかもしれないが、前例を見るにゲームメーカーらには批判されるべき決定的な点が存在している。

それは実際にゲームを購入するファンへ向けての誠意の無さだ。

事前に説明できた情報の秘匿こそが問題だ

表現規制が行われること自体は仕方がないことだとしても、ゲームメーカーから発売前にそれらの情報が開示されていないことは怠慢であるし、消費者に対する誠意の欠如としか言えない。

特にバイオハザード 7 やサイコブレイクのように、通常版とグロテスク版(規制解除 DLC)を別途販売する手法を取るのであれば、よりグロテスクなバージョンを購入するファンが何を望んでいるのかは明白だったはずだ。

海外向けのオリジナルに対して、日本向けのバージョンが CERO 審査を通過するためにどのような修正が行われたのかメーカーが把握できていないはずはない。その情報を秘匿し、実際的な差異を説明しないままに予約を受け付け、発売を迎える行為は批判されてしかるべきだ。

情報公開の仕方に改善の余地がある

オリジナルとの差異を説明しないままに販売するゲームメーカーの姿勢は、グロテスク版との表記が消費者に対する誤認誘導とまでは言わないにしても、騙し討ちのように受け取られても仕方がないだろう。

昨今では No Man’s Sky に代表されるように、事前マーケティング段階における情報提供についても注意が必要な時代だ。

今後もゲーマーにとって表現規制に関する話題は注目に値するだろうし、もっとゲームメーカーによる地域ごとの差異についての情報提供が改善されても良いのではないだろうか。