ビデオゲームで常用されるステレオタイプへの批判

もん

女性差別、人種差別、同性愛嫌悪

ゲームにおいて常用されるステレオタイプな表現を批判する講演が話題を集めている。

登壇したのはBioWare Montrealでデザイナー職に就くManveer Heir。GDC 2014に登壇したHeirは”女性差別、人種差別、同性愛嫌悪――ビデオゲームは今どこに?”と題した講演を行った。

ChokePointによれば、Heirは非難合戦をしたいわけではなく、ステレオタイプな表現がされたからといってデベロッパーが差別主義者であることを意味しないと前置きした上で、欧米を中心としたゲーム業界の意識の改善が必要だと訴えた。

Mass Effect: Andromeda – BioWareの代表作

創造性の停滞という害の側面

Heirは評価や売り上げの高いゲームの殆どが白人男性を主人公にしていると主張。女性や同性愛者、有色人種といった属性を持つキャラクターは半裸の女性であったり、なよなよしたゲイ、犯罪者の黒人といったステレオタイプな表現が行われていると指摘した。

これらステレオタイプな表現の問題はゲームだけに限らないものの、クリエイターには作品が人々に与える影響を踏まえた社会的責任が伴うとHeirは主張している。

他にもHeirは「同じ物語と同じキャラクターばかりで飽き飽き」と語り、ステレオタイプな表現は単純にゲーム業界の創造性を停滞させる一因だとした。

リアリズムは免罪符とならない

例えば中世を舞台とした作品で、女性が屈従的な存在として描かれることはリアリズムを意識した結果である、とステレオタイプな女性表現が行われることを擁護する意見もある。

しかしHeirはゲームである以上全てがファンタジーであり、リアリズムは免罪符とならないと一蹴している。

ステレオタイプを当然のこととすべきではないし、リアリズムを言い訳にすべきではない。殆どのゲームはリアリズムからは程遠いんだ。我々が作るゲームはファンタジーそのもので、それらを現実的と呼ぶなんて馬鹿げているなんてものじゃない。

意義深いゲームを作りたいなら、潜在顧客層のかなりの部分を追いやりたくないなら、思春期で止まらず成熟した媒体として成功したいなら、リアリズムを言い訳にすることは止め、リアリズムを当然のこととしてではなく、責任を持って用いるべきだ。

ChokePoint

有色人種や女性、同性愛者を主人公にしたゲームは売れないという根拠のない固定観念に対して、断固戦うべきだとHeirはデベロッパーに向けて呼びかけた。

Grand Theft Auto V

ステレオタイプな表現を悪と見る違和感

Heirは「有色人種や女性、同性愛者を主人公にしたゲームは売れないという根拠のない固定観念」について言及しているが、果たしてそれら売れ行きの良かったゲームの主人公が有色人種だったら売れたかと考えると疑問に思わざるを得ない。

ゲーム内で主人公が果たす役割とは、それぞれの人種や性質のルーツと呼べるものに根ざしているからこそプレイヤーに受け入れられ、設定を受け入れられるのではないだろうか。

「有色人種を出しましょう」、「これまでにないタイプのキャラクター」にしましょうとゲームを創ってみても、それぞれの特徴の根底にあるアイデンティティを意識せずに脚本を起こしたところで果たしてプレイヤーは受け入れられるだろうか。僕はそうは思えない。

銃を撃って迫力満点の爆発がドカン!これって白人の行いそのものって感じだし、事実に近いはずだ。

少なくとも日本で銃撃戦が発生して警官や犯人が入り乱れて乱射しまくりなんてことは想像が難しいが、アメリカでのそういったニュースや映像を目にすることは珍しくない。

だからこそ白人や黒人の主人公が暴れまわる内容のゲームが発売されたとしても、すんなりを受け入れることが出来る。

剣と魔法の物語は西洋が原点にあるし、騎士道なども白人の文化だ。鎧を脱いだらあら不思議、日本人が中身でした。なんて展開があったとしたら違和感しか抱けない。戸惑うばかりだ。

それとは反対に、侍を外国人が演じるよりも日本人が演じているほうがより侍らしさを感じるだろう。

ただステレオタイプな表現を捨て去るのではなく、ステレオタイプを悪と断じるのではなく、従来のような白人男性が持つルーツとは違ったものを根底に置いた脚本でのゲーム制作を進めなければ、この話はいつまでも平行線となるのではないだろうか。

つまりステレオタイプな表現を避けるあまりに、それぞれの特徴が持っている独自の歴史といったアイデンティティを無視するような本末転倒な事態にはならないで欲しいということだ。